歌の立ち位置。音楽を作るということ。 シンガー/ソングライター ハルナ

わたしのいる場所。サポートする喜び。

CM用の歌を歌ったり、スタジオシンガーとして仕事を続けるうちに、アーティストのバッキングボーカルとして歌を歌うことが増え始めました。テレビの収録やライブ、レコーディングなどで、いろんなジャンルの歌を歌ったり、様々な現場を経験しました。これは本当に人とのご縁が繋いでくれたおかげです。

そして30歳になった頃から、ライブツアーに同行する仕事が急に増えてきて。でも、それは自分にはすごく合っていたんです。もともとバンドから始まった音楽人生だったので、心はバンドマン、ライブで歌うことに身体が馴染んでいました。それ以来、一年のほとんどを日本中旅して周るような生活が始まりました。

若い頃は「歌を歌う」仕事は前に出てスポットライトに当たる場所しか知らなかったのですが、バッキングボーカルの仕事をして、人のサポートをすること、バンドのメンバーとして調和の取れた音楽を作ることがこんなにも自分にとって楽しいとは思いませんでした。前に出るよりもサポートの方がわたしには向いている。「ここが自分のいる場所だ」と思いました。
だから自分が前に立つデビューの話には積極的になれなかったのかもしれません。

好きなことをしているのに苦しいのはなぜ?

そんな風にライブツアーの仕事に邁進していたのですが、出産し、子どもが生まれてから徐々に自分のバランスが崩れてきました。ツアーに出ればほとんど家に帰ることがなく、帰ってくると子育てをしている自分。

音楽も子どもも大好きなのに、なぜか毎晩飲むお酒の量が増えてしまう。ストレスを感じているのかな?でも、どうしてだろう、好きなことをしているはずなのに。

最初は何にストレスを感じているのかがわからなかったんです。でも、どうにもこのままでは自分の心と体が離れていくような感覚になり、2013年、一度全ての音楽の仕事を手放そうと思いました。なんで音楽をやり始めたのかな、どうして音楽を続けたいのかな。一度立ち止まって考えようと思ったんです。

自分の作った曲をバンドで歌う。それが始まりだったのに、いつしかそんな時間は持てなくなっていました。

私の夫は日本人ですがアメリカで生まれ育った人。いつかはアメリカで暮らしたいという思いを持っていることを知っていたので、これを機にハワイに移住して、ロミロミを学んで、生業を変え、音楽は純粋に自分の好きなこととして、余暇に自分で発信をしていこうと決めました。そう決めて移住の準備をしていた時、ある仕事の話がやってきたんです。

転機がやってきた。

それは山下達郎さんのバッキングボーカルの話でした。ぜひハルナさんにオーディションを受けてほしいと。

もともとフォークソングやカントリーミュージックが好きなわたし。達郎さんのバンド「シュガーベイブ」の存在は私が専門学校のメンバーとプロを目指して活動していたバンドで、洋楽のカバーだけではなく日本語のオリジナル曲を演奏していくことの始まりのきっかけでもありました。達郎さんは尊敬するミュージシャンのお一人だったんです。業界でも山下さんと一緒に仕事ができるというのは稀有なこと。本当に音楽を愛する人が作る現場に私も居たいと心から思いました。夫も「それやらなきゃバカでしょ。日本にいなきゃいけない」と応援してくれ、わたしの心も「そこに進め」と言っているのを感じました。

達郎さんのライブは常に音楽が中心にあります。どんなアーティストでもライブの規模が大きくなっていけばいくほど、効率やエンターテイメント性が求められることがよくありますが、達郎さんは自分の音楽を表現するためには時間がかかることも受け入れ、隅々まで自分の世界を表現するために、自分の手の届く末端まで血が通った範囲でできるライブを作り上げていました。達郎さんのライブはいつも真剣勝負。ステージ上で奏でる音楽そのままの音が鳴っている場所でした。

自分の音楽を愛し、真摯に向き合い、その音楽を聴く人にも喜んでもらう。商業的に大規模になってくるとそうしたくても様々な事情で現場では実現不可能なのだろうなとどこかで諦めを感じていたのですが音楽に対する真実をそのまま体現なさっている、そんな気がしました。達郎さんの周りを支えていらっしゃる皆さんも、それぞれ自分の音楽やスタイルを大事にしながら一緒に一つのライブを作り上げている。音楽は予定調和でなく、そこにいる人たちの心意気によって変わっていくもの。
ちゃんと生きたハーモニーがしたい、音楽に真摯に向き合いたいと言う気持ちが蘇ってきました。

これまで、歌を仕事にすることに精一杯で、「自分の好きな音楽、自分の創造性」をごっそり置いてきてしまった。それが、いっとき音楽の仕事を手放そうとまで思った苦しさの原因だったんです。

ずっと長い間ふわふわと形にならない違和感が達郎さんと会えたことで晴れていきました。