ヘッドドレスとコスチュームジュエリーの世界に生きる。デザイナー・アヤヒララギ。

hiilaアヤヒララギ

コスチュームジュエリーと出会ったきっかけは?

きっかけというか、もともと母が普段から着けていたんです。だから、気づいたら自分の周りにあったもの、というか。

私が幼い頃から、母はアクセサリーが大好きで日常的に身につけて楽しんでいました。母の周りにはファインジュエリーもジャンクなものも、いろんな種類のアクセサリーで溢れていて、その中にはコスチュームジュエリーもあって。私は昔から、母のアクセサリーを楽しむ装飾の習慣や、そのセンスが大好きでした。

そして私は小さい頃からものを作るのが好きな子でした。中学の頃に壊れたワイヤーブレスレットをリメイクしたのが、アクセサリーをたくさん作り始めたきっかけ。そして、高校生になった頃、母の友人でコスチュームジュエリーコレクターの方のコレクションを、私も一緒に見せてもらうことがあったんです。「やっぱり、わたしもこういうの作りたい!」と自分の好みを再認識しました。

コスチュームジュエリーには、ファインジュエリーにも、ジャンクなものにもない何かに惹かれていました。今思えば、大きなモチーフの持つ存在感や、自由なデザイン性、素材へのこだわりに共鳴していたのかな。

「母はこんな感じ喜ぶだろうか、こんな感じが似合うだろうか」
そう思いを巡らせることは、コスチュームジュエリーを作り始めて以来、現在まで続く私の想像の源泉です。

アクセサリー作りはどこで勉強を?

アクセサリー専門の学校に行ったことはなくて、それに関してはほぼ独学かな。20代前半からロンドン・ローマ・パリと、8年ほどヨーロッパで過ごす中で、蚤の市やディーラーのところに通い、たくさんのアクセサリーを見て、お店の人に教えてもらっていました。私は特に素材への興味が強かったですね。

ヨーロッパ生活の始まりは、ファッションの学校に通うためにロンドンへ留学したことです。留学前の私は大学を卒業し、セレクトショップで働いていました。「これから留学なんてしても無理でしょ」そんなことを言う人もいましたが、ここで行っておかないとわたしの人生は先に進まない!と思っていたので、気持ちは揺るがなかったですね。

ロンドンの学校では1年間ファッションをトータルで学び、2年目はジュエリー専科がなかったのでバッグ制作を専攻しました。当時作っていたのは、「ジャラジャラしたアクセサリーみたいなカバンを作りたい!」というコンセプトで、クラッチバックや装飾性の高いものばかり。

その頃、ロンドンで開かれていたアクセサリーブランドの展示会を見に行った時に、イタリアのブランド、IOSSELLIANI(イオセリアーニ)のデザイナーと出会ったんです。そのブランドのことは、日本にいた時に働いていたセレクトショップでも取り扱っており、学生時代から大好きなブランドでもありました。大学卒業を記念して購入したリングもイオセリアーニ。そのリングを持った時、『あ、私将来この会社で働くな・・・』と、予感めいたものがあったのです。(でも、この出会った時にはそんなことすっかり忘れていましたが・・・。今思うと、ちゃんとつながっていたんですね。)
そんなことから話が弾んで「うちでインターンしてみない?」と誘われたんです。即答で「Yes!」と答え、もう一年残っていたカバン学科を中退して、イタリアに行き、結局契約社員のような形に。彼らのもとで仕事を手伝い、アクセサリー作りのバックグラウンドも学びました。

パリで生まれたオリジナルブランド、hiila「イーラ」

hiila

イタリアでの仕事を終えた後、パリに渡りました。パリでは語学学校に通ったり、友人のブランドを手伝ったりしながら、自分の作ったアクセサリーを「hiila(イーラ)」とブランド名をつけて見せていたところ、友人の紹介で「hiila」を日本に紹介したい、という人が現れたんです。それでデザイナーとしての活動を本格的にスタートすることになりました。でも、スタートしたもののなかなか難しい状況で。。。そんな時に出展したベルリンの展示会。ここで、ビームス出身のエージェント、矢作さんに出会います。彼女は私の作品を気に入って「一緒にやりたい」と言ってくれたんです。これが、のちに一緒にヘッドドレスを始める運命の出会いでした。

彼女との出会いを機に、8年過ごしたヨーロッパでの生活を終わりにし、日本に帰ることにしました。それまで集め続けたビンテージのボタンや素材、勉強した知識を山ほど持って。