スペインワインで幸福な「場」を作る。日本とスペインを繋ぐひと 原田郁美。

スペインワインと出会ったのはいつですか?

学生時代にヨーロッパを旅したのがスペインと出会うきっかけでした。その後たくさんの国を巡りましたが、 一番しっくりきたのがスペインだったんです。

旅行者にも気さくに美味しい料理を教えてくれるスペイン人の温かい国民性に惹かれました。大学卒業後、印刷出版会社の営業職についたのですが、自分のやりたいことは“創ること”だと気づいて一年で退社、デザイン専門学校で二年間グラフィックデザインを学びました。夢叶って広告代理店のデザイナーの職についたのですが、締切に追われ深夜残業も多く、身体を壊してしまった時に、スペインの青い空を猛烈に思い出しました。

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バルセロナオリンピックの時にテレビで観たサグラダ・ファミリアも忘れられなくて。それから退社して、1年間の期限付きで留学を決めました。結局、バルセロナが好きすぎて3年間暮らしたのですが、ワインはその時夢中になりました。

当時、留学先の学校には日本人は私一人しかいなかったんです。もともとシャイな性格もありますが、英語も話せなかったので、なかなか周囲とコミュニケーションできず寂しさを感じていた時に、学校のパーティーやバル巡りのイベントに参加したんです。そこでワインを囲んだ時、 ワインのおかげで心が開かれ、会話が生まれ、いつもより心開ける自分を感じました。校長先生が大のワイン好きだった影響も大きかったと思います。

ワインによって作られる「場」のおかげでスペインの生活はとても楽しく変化し、こんなに幸せでいていいんだって、思いましたね。

そしてスペインには美味しいワインが本当にたくさんあって。日本にいる時、ワインは少し遠い存在だったのですが、スペインでは気軽に色々試すこともできるし、それぞれのワインが持つテロワールの面白さや世界観に魅了されていきました。

ワインを仕事にしようと決めるまでを教えてください。

バルセロナ生活を終えて日本に戻る時には、 スペインに関わる仕事がしたいと思っていたので、長く暮らした福岡ではなく、東京を拠点にすることにしました 。最初、スペイン関係の会社を探しましたがなかなか無く、バルセロナでの経験を活かした Webマーケティングの仕事をしながら、スペイン関係の仕事がないなら自分で作ってしまおうと、女性起業塾に通い始めました。

でも先生から 「いくらスペインが好きとはいえ、文化をビジネスにするのは難しいわよ」と言われ、事業計画はいつも良い反応を得ることができなかったんです。卒業プレゼンでは、とにかく認められたい気持ちに駆られて、半年で12kgのダイエットに成功した経験があるという理由だけで、「ダイエットカウンセラー」として計画書を作ったんですが(笑)、プレゼンの最中に耐えきれなくなって「やっぱり私はスペインと日本をつなぐ仕事をします!」って気づいたら宣言していました。

その後、スペインを愛する同士である加藤智子さんと出会い、「スペインワインと食協会」(前身:スペイン食文化協会 )を立ち上げ、スペインワインの試飲会やパーティーなど、様々なイベントを開催しました。

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協会の活動を通じて、ワインや食のプロフェッショナルと出会う中で、助言やお力添え、エールをたくさんいただきました。そのおかげで、ワインの道を選ぶことができたので、今でもご縁に感謝しています。いつか恩返しができたら、と思っています。

それからスペインワインの輸入やプロモーションをサポートする仕事をして、展示会やセミナーで通訳をしたり、日本市場向けにパンフレットを作成したり出来ることから始め、徐々に仕事の幅が広がっていきました。

スペインへの移住でどんなことが大変でしたか?

スペインに移住して大変なのはやはり「言葉」でした。バルセロナに3年暮らしていたのでスペイン語は話せましたが、私が住んでいるエルモラール村はカタルーニャ州にあり、言葉もカタルーニャ語。

スペインは地方によって言葉も文化も大きく異なる国。カタルーニャ語はスペイン語の方言ではなく、違う言語なんですよ。スペイン語も通じますが、家族が普段話すのはカタルーニャ語ですから、最初はみんなが話していることがよくわかりませんでした。

そのうち分かるようになると思っていたのが甘かったです。「カタルーニャ語は、まずはスペイン語を完璧に話せるようになってからで大丈夫だよ。」というロジェールの優しい言葉に甘えて、一向に上達しなかったので、週二回、学校に通って勉強しました。

カタルーニャ語が話せるようになると、家族も村の人々も本当に嬉しそうなので、スペイン語にあぐらをかかず、カタルーニャ人のアイデンティティである言語を理解する努力をして本当に良かったと思います

仕事に関して、夫は私の活動に理解を示してくれ、応援してくれています。日本の取引先の方に結婚の報告をした時、「今までの仕事は辞めてマダム業に専念するんでしょう?」と問われました。 ロジェールは、「ワイナリーを経営する家に嫁ぐからと言って、奥さんが今までの仕事を辞める必要はないよね。日本はそれが当たり前なの?」 と、驚いたように答えたのが印象的でした。

もちろんグリフォイ・デクララに注ぐ情熱は熱いですが、スペインワインや食の魅力を伝える仕事もずっと続けてこられたのは、夫の理解のおかげです。