中華街から発信するアジアの美。テキスタイル・ファッションデザイナー 早園真己

真己さんがアジア女性の美に目覚めたきっかけとは?

山本耀司さんのパリコレのモデルとしてショーに出たことが大きなきっかけでした。
モデルの仕事をしていた時、毎日ファッション大賞で津村耕助さんが新人賞を受賞し、その受賞作品である「FINAL HOME」の作品デモンストレーションショーにモデルとして起用されたことがあったんです。それもものすごく嬉しい仕事だったのですが、その時、大賞を受賞していた山本耀司さんが私の歩く姿を見て「あの子、いいね。オーディションに来てくれないかな」と呼んでくれて。その後、オーディションを重ねてパリコレのモデルに選ばれたんです。

当時の山本耀司さんの服は日本の女性が美しく見えるオリエンタルな服を作っていました。その服やショーを体感し、西洋人とはまた違うアジアの女性の美しさに共感したんです。そして、パリコレに向けて仕事をする耀司さんのエネルギッシュな仕事ぶり、真剣にクリエイティブへ向かう姿が本当にすごくて感銘を受けたんです。

日本から1000着もの服をパリに運び、ショーの一週間前から服の選定に入るのですが、どの順番でどのモデルに合わせるか、細かいフィッティングが毎日遅くまで繰り広げられていました。ものすごく集中する時間が続くので、スタッフみんな疲れも出てくるのですが、そういう時、耀司さんが掛け声をかけるとみんなのモチベーションが再び上がり、チーム一体となって一つの世界を作り上げていっていたんです。すごい場所にいるなって思いました。

そんな場に自分がいたという経験が自信になりましたし、日本に帰ってきてから私も何かやってみたい!という原動力に繋がっていきました。

なぜ中華街を選んだのですか?

最初はね鎌倉にお店を開こうと思っていたんです。都心じゃない方が私たちには合うんじゃないかと思って。でも鎌倉ってなかなか物件に空きがないんですよ。で、たまたま仲間で中華街に遊びに来たときに、中華街がものすごく賑わっていたのがすごく印象的で。そうしたら、そういえば小さい頃父の仕事や兄の習い事で中華街によくきていたことを思い出して。縁を感じたんでしょうね。ROUROU国のコンセプトにもすごく合うんじゃない?!と思いました。

昔から中華街にはエスニックなアジア雑貨屋さんはいくつかありましたが、もっと洗練されたアジアの美しさを感じるお店が雑多な中華街にあったら面白いな〜、と思ったんです。それで思い立って不動産屋さんに寄ったんですが、「ホラ見て!空き物件は300人待ちだよ!」と言われちゃって。これは鎌倉より難しいかなと思ったんですが、なぜだか諦めなかったんです。

そこから夫と二人、仕事の休み時間を使って不動産屋に電話をかけまくったんです。中華街の不動産屋リストの「あ」から掛け始め、「こ」まできたところで話を聞いてくれる不動産屋さんに出会うことができたんです。

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その出会いから物件が見つかって、準備は本当に大変でしたが、ようやくお店がスタートできたんです。

オープン後は順調に?

それが、私、お店を開いたらお客さんがすぐ来るものだと思ってたんですが、いざ開店してみたら「あれ、こないな?」と笑。数ヶ月、本当にお客さんが来なかったんですよ〜。

いよいよ夫がバイトに行こうかな~なんて冗談を言い始めた時に、雑誌「hanako」にお店が掲載されたんです。お客さんが来ない間、なんとかしたくてプレスリリースを雑誌社に送ってたんですが、それを見てくれた編集者がいたんですね。

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今でもよく覚えています。掲載日の翌日、朝、お店のシャッターを開けたら店の前に3人もお客さんが並んでいて!すごく嬉しかったですね~。それからコンスタントにお客さんが来てくれるようになりました。
来てくれたお客さんを大事にしたくって、顔と名前を全部覚えていました。そうしているうちに、何度も足を運んでくれたり、うちの服を可愛く着て遊びに着てくれるお客さんも増えてきて。

その後「アド街ック天国」というテレビ番組にも出たり、アジアンビューティーのブームがやってきたりと時代の風が吹いてきて、お店が増えたり、海外に出店したり、色々チャレンジすることができました。