ベトナムの味で世界が変わった。ベトナムサンドイッチ・バインミーを作るひと 島田孝子

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美味しいだけではお店はできない?

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そんな風に始まったお店があったのは下北沢。実は一年も経たずに潰れてしまったんです。。。オープンして程なく、3.11の震災が起こり、客足がぱったり途絶えました。

ただ、今思えば、地震だけではなく、基本的な経営観念がなかったことも原因だったんだろうなと思います。家賃や必要経費と、メニューの価格設定のバランスがうまく取れていなかったので、売っても売っても楽にならなかった。そのうちにお客さんも来なくなってしまって。

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みんな美味しいものを提供している自負はあったので、明日はきっと巻き返せると思いながら毎日なんとか続けていましたが、結局お店は閉店をすることに。日々、食材がロスになっていくことが辛くて辛くて。

業者さんにも迷惑をかけてしまって、もうあんな思いは二度としたくないですね。その時は経営者でなかったから、お金のことについて何もできない自分も歯がゆく、美味しいだけじゃダメなんだってことが身にしみてわかりました。

その辛い失敗があったから、次は絶対に人のお金じゃなく、自分のお金でお店をやろうと決心したんです。

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バインミー屋さん、再び世田谷で。

下北沢のお店を閉店してから、経験を活かし、フリーのフードコーディネーターとして商品開発や店舗プロデュースに関わりながら、自分でお店を開くため物件を探しました。

最初の頃は都心部で探していたので、予算と条件が合わず、自分が理想とする物件になかなか出会えないまま2年近くが経ちました。2年も経ってくると、だんだん焦りや諦めといった気持ちが湧いてきます。もうないのかも、、、と思っていたころ、インターネットで今のお店となる物件を見つけたんです。

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それは世田谷にあり、当初考えていたエリアとは全く別の場所。気にはなるけどどうかな、と迷っているとき、夫の「試しに見てみたら」の一言で動く気になり、物件を見にいきました。実際に行ってみると緑が多く、大きな病院の前で人通りもあって雰囲気がいい!しかも物件は一軒家で、どこかベトナムっぽさもある、、、これ、最高じゃないの、、?!

すぐにその物件が気に入ってしまったんです。きっと、縁のある物件だったんです。お金の工面も、契約も順調に進みました。

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たった一人で始めるお店、お金に余裕がなかったので、最低限必要な厨房は作ってもらい、内装はできる限り自分たちで整えました。その時一緒に開店を手伝ってくれたスタッフは下北沢のお店で一緒に働いていた子。私が自分でお店を開くときは手伝うって言ってくれていたんです。失敗ばかりだったお店だったけど、彼女と出会えたことだけは本当に良かった笑。

仕入先も、下北沢時代に迷惑をかけてしまったパン屋さんとお肉屋さんに再びお願いしました。喜んで協力してくれて、嬉しかった。人との繋がりに助けられました。

店舗は一軒家なので、イートインできる二階部分もあったのですが、当初は時間もお金も余裕がなく、一階部分だけを開けて、テイクアウト専門のバインミー屋さん「andi」をオープンさせました。andiとはベトナム語で「食べて行って!」と言う意味なんです。

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お客さんが来ない日々をどう過ごす?

オープン当初は物珍しさもあって客数も多かったのですが、しばらくするとぱったりと落ち着いてしまって。しばらくはお客さんがあまり来ない時期が続きました。

スタッフと私、二人だけの運営だったので、人手が足りずビラ配りもできずにいました。宣伝活動としては、家からお店の行き帰りにちょろっとポスティングするくらい。外に向けて発信することはほとんどしていませんでした。

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ただ、客数は少ないながらも、リピートしてくれるお客さんがいたので、味にハマる人はいるはず、と信じていました。下北沢での苦い経験を繰り返さないためにも、諦めなければ大丈夫!と自分を励ましながら過ごしていましたね。

お客さんが来ない時間は、ベトナムのサラダデリを増やしてみたり、焼きたてマフィンを作ってみたり、サイドメニューに工夫やチャレンジをして自分たちのモチベーションを保ちました。そうやってトライする熱意はお客様に伝わっていたと思います。この人たち、なんか頑張ってるなって笑。

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そのうちに二階を開けて店内で食べられるようにするとお客さんが増えてきて。バインミーが売れ始めると、時間があって作っていたデリは必要ないこともわかってきました。バインミーを目当てに来るから、バインミーとコーヒーが定番なんだ、と。

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結果、うちには必要のなかったデリでしたが、そうやって必要ないって思えるまでチャレンジできたことは良かったし、お客さんの来ない時間を、ただ焦るんじゃなく、無理に人を呼び込むんじゃなく、自分たちができる範囲で挑戦し続けられたことが今につながる秘訣だったのかなと思います。