中華街から発信するアジアの美。テキスタイル・ファッションデザイナー 早園真己

ROUROUのユニークさってどんなところですか?

そうですねー。作り手とお客さんの距離が近いことかな。私は企画したり服のデザインをしていますが、お店にも立つし展示会にも行くので、お客さんと接することが多かったんです。
お客さんがこんな服欲しいな~と言っていたら「よしわかった!」といってすぐ意見を取り入れたり、「かわいいけど着ていく所がないからな~」と言うお客さんのために、「じゃあ、その場を作るよ」と船の上で食事会を開いたり。
お客さん参加型のブランドという感じでしょうか。

お客さんを楽しませたいって思いは最初から強かったんですが、それがイベントという形になり、ホールを借りてお客さんを集めてROUROUファッションショー開いたり、お客さんをモデルにした撮影会をするなど、いろいろと企画してきました。こんなことしたら、みんな驚くかな〜ってワクワクしますよね。

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今はコロナ禍でイベントは開きにくくなっていますが、「旅するROUROU」と題して地方のお客様が服を手を取れるよう各地に赴いて販売会をしています。

もう一つROUROUらしい点といえば、製造の過程を一貫して管理していること。日本の製造ラインは分業化されていることが多いのですが、うちは企画案、パターン起こしや生地作り、縫製、販売まで自分たちの手に届く範囲で行なっているんです。自分達で作って自分達で売る、と言うスタイルを昔から続けてる。
どこかから商品を卸してもらったり、自分たちの作ったものを他社に卸すことがあまりないんです。

それは亡くなった父の理想の形でもあって。生前、父はテキスタイルの製版工場を経営していましたが、当時一般的だった分業制ではなく、生地作りの全ての工程を自社でやりたいと考えていた人でした。

残念ながら、あともう少しというところで他界してしまいましたが、幼い頃に父から「マキちゃんは自分で作って自分で売ったらいいよ」と言われ、「うん!そうする」なんて話していたことがずっと心に残っていました。だから自分で作ったものを自分のお店で売るということは私にとって自然な流れだったんです。

辛いなと思う時をどう乗り越えてきましたか?

本当に20年の中では色々と大変な時期も多くあり、辛いな、辞めたいなと思うことは幾度とありました。でも、それを支えてくれたのはスタッフとお客さんです。

朝、スタッフの顔を見ると頑張ろうって思えたり、私が少し元気がないときに来てくれたお客さんが「マキさんの服に元気もらえたよ」って言ってくれたことがあって。すごく嬉しかったし、お客さんと私の間にエネルギーが循環しているのを実感しました。

これからやってみたいことはありますか?

もっと勉強して、もっとクリエイティブなことをやりたいなと思いますね。

今、長岡造形大学の講師として学生が作った現代アート作品を講評する仕事もしているのですが、それが私にとても刺激になっているんです。そこでは、テーマに合わせて絵や映像やインスタレーションなど、みんな自由な形で表現デザインを模索しています。

生徒みんなの作品も素晴らしいし、一緒に並んでいる講師の先生たちもすごく才能があり、私ここにいていいのかしら?と思うほど笑。
そんな中、私自身、もっとじっくり時間をかけて自分の創作活動をしてみたいなと思ったり、深い思想や感性でものづくりをしたいなと思うようになりました。表面的なカッコよさや可愛さだけでないもの、その奥にあるものをファッションで表現できたらいいな、と。

今のファッションはみんな綺麗に着こなしているけれど、どこかどれも同じスタイルに感じることはありませんか?タグを外したらどこのブランドかわからない服がたくさんありますよね。そういうのもいいけれど、私にとってファッションは自分を表すものであると思っていて。

日本人として、アジア人としてのアイデンティティを感じるのもいいんじゃない?って思ってる。アジアの手仕事だったり、昔からの技術が使われた服も着てみようよって思っています。

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早園真己

1972年1月11日 横浜生まれ。横濱スカーフのシルクスクリーン製版型を作る職人の家庭で育つ。
日本ファッション学院卒業後、職人として家業を手伝いながら、モデルとしてコレクションや雑誌、TVCFなどで活躍する。
パリコレ出演を機に、自分のなかに眠るアジア人としてのアイデンティティや誇りを実感。
日本から発信する“ネオアジア”をコンセプトに、2000年横浜中華街に自身のブランド「ROUROU」をオープンする。
https://www.rourou.com/